古代ハワイの人たちにとって、時間や分などの時の経過という概念は希薄だったと考えられています。彼らは、細かな時間の経過はさほど気にしていなかったようです。そのことは、ハワイへ旅すればお分かりだと思いますが、南国の太陽やキラキラと輝く海、青々と生い茂る山の緑などに囲まれていると、ハワイの人でなくても時間というものを忘れさせてくれる豊かな自然がハワイにはあります。今でもハワイでは、約束の時間よりも1時間ほど遅いのがハワイアン・タイムと揶揄されていますが、時間に鷹揚なのは、古代から受け継がれてきたDNAなのか、または、常夏の楽園がそうさせているのかわかりません。
古代のハワイの人たちにとって、朝は「お日さまが昇った:Kakahiaka」状態で、昼は「お日さまは真上:Awakea」にあり、午後は「お日さまが西に向かっている:Auinalā」というゆるい感じで、時の経過、時間の流れをとらえていました。そのため、会話でも「何をしていたの?:He aha kau hana?」という質問も「何をするの?:He aha kau hana?」も、また「何をしているの?:He aha kau hana?」も同じ言い方でした。時間の経過の概念が希薄だったので、過去・現在・未来という概念もまた乏しかったのでしょう。ハワイ語の過去・現在・未来形の会話については、次回に詳しくやりましょう。
さて、それでは古代のハワイの人たちは時間の経過、または一日、ひと月、一年の経過をどういうふうに計っていたのでしょうか。それは、マヒナ(Mahina)と古代ハワイの人たちが呼んでいた月を観察することによって計算していました。毎朝、東から昇る太陽や夜空に輝く星よりも、毎晩、形を変えて姿を現す月は、彼らにとって時間の経過を知る重要な手がかりとなっていました。そのため、古代ハワイ社会では新しい一日は朝ではなく、時の流れの指針となっていた月が姿を表す夜からはじまりました。
月の形は満ち欠けによって毎夜変化し、それは約30日で一回りしました。マヒナ(Mahina)というハワイ語は、太陰暦のひと月をも意味していました。
彼らは、ひと月のはじまりを新月の晩から数えはじめました。なぜならば、古代のハワイの人たちにとって、月が出ない真っ暗闇の晩は古い月が死んだことを意味し、次の夜、東の空から昇る最初の月、新月の初夜がひと月のはじまりとなりました。新月をマヒナ・ホウ(Mahina Hou)と呼びました。マヒナ・ホウ(Mahina Hou)は、また太陰暦の新しい月をも意味していました。その後、一日一日(一晩一晩)月は満ち、満月となります。満月はハワイ語でマヒナ・ピハ(Mahina Piha)、またはマヒナ・ポエポエ(Mahina Poepoe)、丸い月と呼んでいました。そして月は徐々に欠けてゆき、月が出ない暗闇の夜がくるとその月は終わりとなりました。こうして、新しい月、マヒナ・ホウ(Mahina Hou)を12回かさねることで一年が一回りしました。つまり、古代ハワイ社会では、新月の初夜が一日のはじまりであり、ひと月のはじまりであり、一年のはじまりであったわけです。こうして、彼らは、月の形を観察することで時の流れや季節の移ろいを計っていました。
しかし、ここで疑問を感じると思います。古代ハワイ社会では月齢を基準に一年を数えていたとすると、一年365日という現在の一年の単位には足りないことがお分かりになると思います。一ヶ月30日に12ヶ月を掛けると一年は360日です。資料を調べていくと、古代ハワイ社会にはやはり各島にはそれぞれ天文学者(カフナ)がいて、特別な方法で調整していたと考えられていますが、それらは門外不出だったので、資料はことごとく消滅しています。なぜならば、文字文化のなかった古代ハワイ社会では、それらはカフナから次のカフナへと口述伝承されていたからです。しかし、ハワイ諸島を統一したカメハメハ大王によると、古代天文学者はマカヒキ(古代ハワイ社会の正月のお祭り)が終わった後に5日加え、修正していたそうです。また、彼らは、旧ギリシャ暦のように19年に一度、日にちを調整していたとされています
このように一日は夜からはじまった古代ハワイ社会では、「今晩」をさすハワイ語はケーイア・ポー(Kēia pō)といいますが、その言葉を日中使えば、それは前の晩を指していました。話はややっこしいですが、今晩食べる夕御飯の献立を昼間に尋ねる場合、ハワイ語では「明日の夕食は何ですか?」という会話になります。逆に、昼間、「今日の夕食は何ですか?」ということは、昨夜食べた夕食のことを聞いていることになるわけです。明日というハワイ語は、夜(pō/ポー)という単語が二つ合わさったアポーポー(`Apōpō)といいます。つまり、古代ハワイ社会では、明日になるには夜が二度必要だったわけです。
一日が夜からはじまるという古代ハワイ社会の概念は、キャプテン・クック以降に導入された欧米式の曜日の言い方にも現れています。月曜日は1番目の夜、ポー・アカヒ(pō`akahi)というハワイ語があてられ、土曜日はポー・アオ丿(pō`aono)、6番目の夜と呼びました。唯一、昼というハワイ語、ラー(Lā)が付いているのは日曜日で、礼拝の日という意味のラープレ(lāpule)というハワイ語があてられていました。
pō`akahi:月曜日、1番目の夜
pō`alua:火曜日、2番目の夜
pō`akolu:水曜日、3番目の夜
pō`aha:木曜日、4番目の夜
pō`alima:金曜日、5番目の夜
pō`aono:土曜日、6番目の夜
lāpule:日曜日、礼拝の日、pule=礼拝、お祈り
古代ハワイ社会の月の形の呼び方(ひと月における日にちの呼び方)
それでは、古代ハワイ社会では、月の形をなんと呼んでいたのでしょうか。私たちがついたち(一日)、二日(ふつか)、30日、またはみそかと呼ぶように、古代のハワイの人たちにとって月の形こそひと月の日にちを表す言葉だったからです。そして、彼らは経験則から漁に適した日にちや適さない日にち、同じように農業に適した日にちや適さない日にちなどを、カプ(Kapu=禁止・神聖)を交えてひと月の中で取り決めていました。もちろん、その中には争いごとをしてはいけない日にちや、新しいなにかをするには縁起の悪い日にちなどが網羅されていました。
東の空から最初の月が現れる晩をヒロ(Hilo)と呼び、マカプーの空にあがった糸のような微かな三日月を見て、古代のハワイの人はひと月のはじまり、マヒナ・ホウ(Mahina Hou)を知りました。ヒロ(Hilo)はより合わせるとか、糸のような微かな光を指しています。2晩目(2日目)、月はより明確な姿を現します。ホアカ(Hoaka:三日月)と呼びました。3晩目、クー・カーヒ(Kū-kahi)の晩からハワイの戦いの神クー(Kū)の晩が4日間続きます。クー(Kū)のタブーの四日間と呼ばれています。4晩目クー・ルア(Kū-lua)、5晩目クー・コル(Kū-kolu)、6晩目クー・パウ(Kū-pau)と、月はますます大きくなります。ちなみにパウ(Pau)は終わりという意味のハワイ語です。
7晩目のオレクカヒ(`Olekukahi)から10晩目オレパウ(`Olepau)、それから21晩目のオレクカヒ(`Olekukahi)から23目のオレパウ(`Olepau)はナー・オレ(Nā `Ole)と呼ばれ、このオレ(`Ole)は「無」という意味があり、これらの日は漁とか農業の種まき、またなにか重要なことをはじめるには縁起の悪い日とされていました。
12晩目のモーハル(Mōhalu)は、花などを植えるのに最適な日とされています。この夜の月の形が、花が咲く完璧な形を連想することができたからからです。14晩目をアクア(Akua)と呼びましたが、これは満月を意味する言葉でした。
一五夜の満月は、ハワイ語でホク(Hoku)と言いますが、日の出前にすでに隠れてしまった満月をホク・パレモ(Hoku-palemo)、沈んだ月と呼び、太陽が昇ってもまだ地平線上に見えている満月は、ホク・イリ(Hoku-ili)、座礁した月と呼びました。ちなみに、星を意味するハワイ語もまたホク(Hoku)ですが、発音はホークー(Hōkū)と呼びます。
16晩目はマヘア・ラニ(Mahea-lani)で、同じく満月の夜を指していました。
17晩目が4晩目と同じク・ルア(Ku-lua)で、満月後の2晩目となります。18晩ラーアウ・ク・カーヒ(Lā`au-Ku-kāhi)、19晩ラーアウ・ク・ルア(Lā`au-Ku-lua)、20晩目ラーアウ・パウ(Lā`au-pau)のラーアウ(Lā`au)とは病気のときの薬、または草木が育つという意味のハワイ語です。
その後、21晩、22晩、23晩とナー・オレ(Nā `Ole)と呼ばれ、なにか重要なことをはじめるには縁起の悪い日が続きます。24晩カーロア・ク・カヒ(Kāloa-ku-kahi)、25晩カーロア・ク・ルア(Kāloa-ku-lua)、26晩カーロア・パウ(Kāloa-pau)とカナロア(Kanaloa)の神を祭る日が3日続きます。27晩カーネ(Kāne)はカーネ(Kāne)の神を、28晩ロノ(Lono)の神をそれぞれ祭る日となります。29晩マウリ(Mauli)は最後の息を意味し、古代のハワイの人たちは、夜明け前の微かな光を放つ月はまさに消え入る寸前に見えました。そして、ひと月最後の夜、30晩はムク(Muku)と呼んでいましたが、これは終わりとか死を意味する言葉で、完全に真っ暗闇になった月のいない夜を現していました。