暗闇の写真に写っているものは何だろう。ゴーストやオカルトではありませぬ。
街灯に照らし出されたわずかな手がかり、黒々とした諧調の中に、樹々の葉や、路地が見えまする。
明るい太陽で撮れば構図も主題もはっきりするものを、わざわざ深夜の闇を撮るなんて。
でもね、明朗な言葉が真実とは限らないように、明白な写真が現実に見えることが、実は疑わしいのだよ。
姿カタチのないものを捉えるために暗闇はある。「星月夜」の鎌倉には、饒舌な比喩がある。気配はそこから生まれて、私たちに語りかけるのでした。
鎌倉鶴岡八幡宮の前に立つと、本殿の背後に深い緑の山々が見える。
鎌倉は三方を山に囲まれ、一方を海に向かって開かれた古都であると言われる。
観光客は鳥居の下にたたずみ、ここが歴史のある街だと納得する。
しかし、山頂の尾根の向こうに見えるのは、ゴルフ場、広大な新興住宅の群れ、ビル、マンションの立ち並ぶ姿だ。
鳥居の下から見た、せり上がる山々の風景は、舞台の背景画のようなものなのか。
鎌倉の現地調査を行ったユネスコ世界遺産調査団は、「精神的、文化的側面のみで十分な物証がない」「独創的だが、国内レベルにとどまる」として「不登録」を勧告した。つまり日本にあるフツーの街だと判断されたようだ。
戦後の高度経済成長の勢いはすさまじく、この頃から山は削られ、貴重な歴史的遺構はコンクリート基礎の地中深くに埋められた。
今もなお、開発という鎌倉ブランドへの欲望は衰えてはいない。便利で安心快適な街は何を失い、忘れたのだろうか。
横須賀線最終列車が通り過ぎ、人々が眠りにつく頃、街は夜の静寂に包まれる。
深夜の鎌倉。街灯の光も小さなスポットライトのように暗闇の支配下に入る。
くらやみの こえは
やねと おなじくらい ぎしぎししている。
まどと おなじくらい ひやっとしている。
そして、くらやみは ラズロの
すぐ そばに いるのに、
そのこえは とても とおくから
きこえてくる かんじがする。レモニー・スリケット作/絵本「くらやみ こわいよ」
暗闇は怖い、大人になっても怖い。
それは原始的な記憶を呼び覚ますからだと言われている。
風景も家も、理性も感情も、自分自身も闇のベールの中で溶け出し、ただ気配だけが立ち表れる。
現実だと信じて疑わなかったものは薄く消えかかり、実態であったはずの人間は、時空の切れ目に揺れる虚ろな現象になる。
だから怖くて不安になる。気配は見えないのだ。
夜のとばりが大地を包み、真夜中はすぐそこにいて、
血に飢えた者たちがはい出し人々を怯えさせる。
踊る勇気のない者が奴らに見つかったなら、
地獄の番人の餌食になり、死して内側から朽ち果てるのだ。マイケル・ジャクソン/スリラー プロローグ
マイケル・ジャクソンのスリラーに登場するゾンビは朽ち果てたセレブ・ファッションに身を包んでいる。
ゾンビはハリウッドに群がる人々であり、マイケル自身もゾンビであり、同時に現代社会に生きる私たちの姿である。(安冨歩/「マイケル・ジャクソンの思想」)
マイケル・ジャクソンは熱狂的なファンからキング・オブ・ポップと賞賛される一方、マスメディアや社会のメインストリームでは、子供を連れ去るハーメルンの笛吹き男になぞられ悪魔のように嫌われた。
マイケル・ジャクソンが亡くなった2009年6月25日の翌日、6月26日は聖ヨハネ・聖パウロの祝日、すなわち1284年、ハーメルンの街から子供らが連れ去られた日に当たる。
道化の衣に身を包んだ笛吹き男に誘われ
ハーメルン市に生をうけた子供 130名
カリヴァリーの丘に入り 行方知れずとなる
果たしてマイケル・ジャクソンは、子供の心を捕え連れ去る悪魔の申し子なのだろうか。
ミヒャエル・エンデに「ハーメルンの死の舞踏」という戯曲がある。
むかしむかし、ハーメルンの街は激増するネズミに悩まされていた。
ねずみの唾液で食べ物は腐敗し、伝染病が流行り多くの市民が死んでゆく。
ねずみを生み出しているのは「大王ネズミ」と呼ばれる巨大なねずみ。
不思議な力をもつ「大王ネズミ」は市長や街の有力者によって、地下深くに隠蔽されている。
「大王ネズミ」の糞は、お金で出来ていた。絶え間なくお金をひねり出すたびに、副産物として死のねずみが街へ放たれる。
こうしてお金持ちはますます財産を増やし、貧しいものはますます苦しくなる。
そんなある日、どこからともなく笛吹き男がやってきて、ねずみ退治を請け負い、見事約束を果たす。
しかし、市長や街の有力者は、笛吹き男を欺き、報酬を支払わなかった。
約束した報酬が「大王ネズミ」そのものだったからだ。
贅沢な暮らしが脅かされることを恐れた為政者たちは、「大王ネズミ」を失う事を何よりも恐れていた。
「今となってはもう戻ることもできん。それには進み過ぎてしまった。
このまま先へ進むよりほかない。われら自身が、悪魔の循環に巻き込まれ、はてしなく回りつづける。
この地がこれほど荒れはてて不毛になったからには、それだけいっそう遠くから、ものを取り寄せねばならぬ。
だからこそ、金がいくらでも必要になる。これが、あのお方に動きつづけていただく理由だ。
もっともっと速く回っていただかねばならん、さもないと、われわれはみな破滅することになる。」「ハーメルンの死の舞踏」より
市民たちも苦しみを紛らわすために、よそものの笛吹き男を痛めつけ、蔑んだ。
街には嫉妬、密告、誹謗中傷が渦巻き、呪いの言葉で溢れていた。
もはや大人たちに未来がないことを悟った笛吹き男は、子供たちを連れて旅に出るのだが、ついに力尽き、子供を逃がした後、石になってしまう。そして追手の兵士によって粉々にされてしまう。
悲しくも儚い結末。
エンデは物語を通じて警告した。
「行きすぎた貨幣経済と物質的な豊かさは人類の未来を約束しない」。
マイケル・ジャクソンは悪魔の申し子ではない。
キリストが人々の罪を背負って十字架に掛けられたように、
傷ついた子供の心を救おうとして、痛みを背負って死んだ。
そして私たちは、社会的自我という分厚い仮面を被ったゾンビなのだ。
魔物が喜びの雄叫びを上げ君を狙っている。
うまそうで食べごろだ。
体がうずくビートなのに脚がすくんで動けない。
君は逃げたい、叫びたい。でも、もう太陽は望めない。
墓から出てきた魔物に冷たい手でひねりつぶされる。マイケル・ジャクソン/スリラー エピローグ
深夜の鎌倉。細い路地の奥から、笹の葉が生い茂る谷戸の崖から、何かが舞い降りる。
暗闇は、深呼吸のようにスーと自分の中に入り込み、会話を始める。
恐怖が消えると仮面が剥がれ、心深くに棲む子供の自己が顔を出す。
きみは くらやみが こわいかもしれないね。
でも、くらやみは きみを こわがっては いないよ。
だから、くらやみは いつも きみの そばに いるんだ。レモニー・スリケット作/絵本「くらやみ こわいよ」
鎌倉の枕詞は「星月夜」、星月夜の井戸は、水面に星々を映した故事からきている。
北斗七星を模した柄杓のように折れ曲がった小川には、今日も水が流れている。
鎌倉は夜空の星を映した街なのだ。
北鎌倉の路地に「おしゃぶきさま」「おちゃぶきさま」という宿神がおられる。
由来は定かではないが、諏訪のミシャグチ神と同じように、頼朝の時代を遥かに通り過ぎ、縄文を記憶されているとても古い神様である。ただ、見てくれは古い石の塊にしか見えない。
宿神は、時には樹木となり、時には地蔵となり、ある時は乞食のように、身をやつしていることもあるようだ。
人の目から御身を隠しておられるらしい。そして勃興と衰退を繰り返す時の権力の変化をずっと見てきた。
この世のチカラの源がどこから湧き出し、どこへ流れて行くのか。その行方と本質をはっきりと知っている。
このような存在が、見る人もなき路地の傍らに潜んでいるのだ。
深夜の鎌倉。宿神の子供である精霊が遊びを始める時間。
木の葉の擦れる音、風の音、獣の声。闇に漂い、戯れる。
こんなにも儚く、曖昧なものがずっと昔からここにいて、
人間の過去と未来の営みを知っているなんて誰が信じるだろう。
確かに、想像やまぼろしのたぐいに違いないのだから。
「本当のことは、目に見えない」サン・テグジュペリ/星の王子さま
文:福富 弘人 写真:増田 浩
参考文献
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西武王国 鎌倉著者:山本 節子
出版社:三一書房
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くらやみ こわいよ著者:レモニー スニケット
翻訳:蜂飼 耳
出版社:岩崎書店
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マイケルの贈り物―ファンが綴る感動の日々著者:山田 真美子
出版社:青山ライフ出版
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スリラー マイケル・ジャクソンがポップ・ミュージックを変えた瞬間著者:ネルソン・ジョージ
翻訳:五十嵐 正
出版社:シンコーミュージック・エンタテイメント
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合理的な神秘主義~生きるための思想史 (叢書 魂の脱植民地化 3)著者:安冨 歩
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魂の脱植民地化とは何か (叢書 魂の脱植民地化 1)著者:深尾 葉子
出版社:青灯社
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ハーメルンの死の舞踏著者:ミヒャエル エンデ
翻訳:佐藤 真理子
翻訳:子安 美知子
出版社:朝日新聞
星月夜の鎌倉と塔の辻鎌倉のbooks mobloで取り扱い中
著者:きし亀子
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異神〈上〉中世日本の秘教的世界 (ちくま学芸文庫)著者:山本 ひろ子
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精霊の王著者:中沢 新一
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星の王子さま (岩波少年文庫 (001))著者:サン=テグジュペリ
翻訳:内藤 濯
出版社:岩波書店