福富書房

かえる。

第1部 地底人現る ? その11。

小説「鎌倉の怪人」

2012年11月13日|松宮 宏

暗躍する開発業者

さて、物語の時代を遡ること5年。

昭和39年に起こった「御谷(おやつ)騒動」のことを述べなければならない。

鎌倉では山に囲まれた場所を谷(やつ)と呼ぶが、

鶴岡八幡宮の裏山一帯を指す谷は唯一「御」の字をつけて呼ばれる神聖な森として信仰の対象にもなっている。

例えるなら「The God」「The Earth」、あるいは「The Band」。

騒動はある日、ひとりの主婦が御谷に入り込んだ測量作業員を見かけたことが発端だった。

不審に思って調べると、行政認可の元、大手不動産会社による御谷開発計画が進んでいたのである。 「御谷を守れ! 鎌倉を守れ!」と多くの市民、僧侶、鎌倉文士達が反対運動を起こした。

役所前に看板を立て、建設会社へ押しかけ、文字通りからだを張って重機を阻止して2年、

議会決議に及んだ騒動は、環境保全を目的とした「古都保存法」が制定されて終了した。

古都の特に重要な区域は「歴史的風土特別保存地区」とし、許可なく現状を変更することが禁じられた。

これが「御谷騒動」。

さて、しかし、これを成果と見るか、妨害と見るか・・

物事はそれをどういう角度で見るかで価値が変わる。

自然保護など、意味を見いださない者達には邪魔なものなのである。

鎌倉の山など扱いにくいゆがんだ地形だ。

円覚寺の森に至っては駅にかぶさるハングオーバー、地震でもあれば駅に崩れ落ちる。

森林を伐採し宅地にしたほうが防災も万全、開発は住民のためだ。

正義を吠える連中など、集団ヒステリーでしかない。

不動産業者の、この視点は変わらない。

表だっての開発活動は控えざるを得なかったが、鎌倉暮らしに憧れる者は後を絶たず、住宅数はまったく不足している。

人の噂も75日、亡き人も三回忌で記憶の彼方。5年経てば記憶は忘却。

なにしろ戦後25年、日本経済は日の出の勢いである。

自民党幹事長となった田中角栄は日本列島改造論をぶち上げ、

どぶ板選挙を勝ち抜いた族議員が取り巻き、

金を出したい投資家が順番待ちをしている。

山を崩し、木を切り、海岸を埋める・・公共工事の大盤振る舞いで列島改造だ!

なりを潜めていた開発業者は、そこかしこで地盤調査を再開した。

北鎌倉駅の東側、八雲神社の敷地に続く善応寺ガ谷。

景観保護地区だが、徹底的な根回しのおかげで役所も開発を認める方向へ傾きつつあった。

勝算はある、と開発業者は踏んだ。

反対運動は起こるだろうが、保存地区でも知事の認可さえ取れば開発できる。

住民の合意を得る必要など無い。政治家が決め官僚は書類を作るだけだ。

業界は力で押さえにかかった。しかし住民も根強い。

「御谷騒動」を経て5年、「善応寺ガ谷騒動」がはじまったのである。

疲れたからだに悶々としたこころ。

日々、祐子を想う富五郎である。
「みそ汁はかきまわすもんでねえ。喰うもんだ」

富五郎は箸で汁を突いている。汁はとおに冷えている。
「あったけえメシ、こさえてやっても甲斐がないわ」

富五郎のぼやけ顔に、母親はふとんタタキで、ぱんと畳を打った。
「メシぐらい、楽しそうに喰え」
「いいから、放っておいてくれ」

やっとのことで出したような声。富五郎は茶碗から箸を抜きちゃぶ台に置いた。具のわかめが箸の先に引っかかっている。母親はじっと見ていたが、自分の箸を動かしてメシを口へ放り込んだ。

富五郎の後ろで黒電話が鳴った。富五郎は背中を畳に付けてころがり、面倒くさそうに受話器を取った。
「はいよ、もしもし」
「とみにいちゃん!」

祐子だった。

富五郎の背筋が伸び、その拍子にちゃぶ台を蹴った。
「あきゃーっ」

椀が飛び、茶色の汁が母親の胸にぶちまかれた。富五郎は母親に手を伸ばしたが、受話器も離せない。祐子である。
「たいへんなことが起こったの!」

祐子の声は受話器をはみ出すほど大きい。
「今度の日曜日、休みを取って」

母親もわめく。
「こら、富五郎! 何をしてくれる!」

富五郎は片手で母親の怒りを抑えながら、祐子に言った。
「日曜か・・どうかな、駅長に言わないと」
「お願い。ぜったい!」

祐子の声がいつになく激しい。

駅長と祐子。そんなの、祐子に決まっているが、さて、

母親は文句を垂れながら立ち上がり、風呂場へ向かった。

富五郎は母親に、おざなりに伸ばしていた手を引っ込め、受話器を握り直した。
「たいへんって、どうしたんだよ」

祐子は言った。
「きのう、善応寺ガ谷で開発業者と保存協会が揉めたのよ」祐子の息が荒い。「最近ちょくちょく増えてたでしょ、そういうの。八雲の宮司さんが地質調査隊を見つけて、協会の大谷さんも呼んで『許可を取ったのか』と糾したら、『答える必要はない』と無礼だったので、大谷さんが怒って、それで、殴り合いになって、警察も来たって」
「警察沙汰かよ。それに巨体の大谷さんか。柔道五段の・・やくざも怖がる」
「でもケンカはすぐにおさまったらしいんだけど」
「そうだろうな。警察が来たらやめるしかない」
「違うのよ。柏槇が動いたのよ」
「・・・・」

富五郎は一瞬何のことかわからなかったが、
「びゃくしんだって?」
「一本の柏槇が突然、風もないのに、ざざ??って、びっくりするほど揺れたらしいの。測量の人たちは他の街から来たからわからなかったみたいだけど、大谷さんや宮司さんは『神木だ』『神が怒っている』って、ばばっと地面にひれ伏して、念仏を唱えて、それから猛烈な勢いで業者を追い出したんだって。警察のひともみんな地元の人でしょ。だから頭にガーンと来たらしいわ。浄光明寺の事も知っていたからね。制服のまま念仏を唱えたらしいわ」
「その絵はマンガだな。でも、それ・・」
「そうなのよ」
「カモノタダユキ・・」
「他に考えられる?」
「う?ん」
「だから会いに行くの。何をしようとしているのか聞きたい」
「でも」
「でもじゃない。日曜日ね!」

次の日。日曜日を休みたい、と富五郎は休暇届を両手で差し出した。

駅長の目が曇った。

しかし、たいしたことでもないと思い直したのか
「誰かが代わりに勤務するわけだな」

と白い顔に戻って言った。
「すみません、一身上の都合で!」
「これから何回、一身上の都合が出てくることやら」

と言いながらも判を突き、
「私は、人員さえ揃っていれば良い」と助役に目をやった。助役は何か言おうとしたようであったが、富五郎は帽子を脱いで一礼し、さっと駅長室を出てドアを閉めた。何とかなるだろう。

助役と祐子。今日のところは祐子である。

日曜日。朝10時は毎度の巳の刻。北鎌倉駅は晴れ上がった春の陽気に包まれた。祐子は切り岸の前をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、穴が開くのを待ち構えている。

日よりに誘われた観光客がぞろぞろ降りてくる。臨時改札も開け、駅員は朝から忙しい。

臨時改札には助役が立っていた。代役を立てられなかったらしく管理職自ら出勤することになったのだ。当分嫌な顔をされるな・・富五郎は思いやったが、目の前には祐子がいる。これにはどんな苦労も代えられない。

とはいえ、結局2時間待ち、カモノタダユキは出てこなかった。その間、顔見知りが何人も通り過ぎ、勤務中の駅員には「そんなところで何をしている」と不審がられたが、富五郎は答えなかった。だいたい答えようもない。

祐子も退屈顔だ。

春の花の香りと小鳥のさえずりが円覚寺の森にこもっている。

反対ホームを見ると、大船側の端から子供達がおしゃぶき石を蹴ってホームになだれ込んでいる。
「おやおや」

20人ほどいるであろうか。ランドセルをしょい、水筒をぶら下げている。
「気にしない。木の葉、20枚だよ」

子供達は水筒を振り回し、無邪気にホームで踊っている。

祐子もじっと見ていたが、
「じゃあ、善応寺ガ谷の柏槇を見に行こう。ヒントがあるかも」
「よし、行こう」

そういうことになった。

次号へつづく

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