福富書房

かえる。

第1部 地底人現る ? その7。

小説「鎌倉の怪人」

2012年7月30日|松宮 宏

富五郎、夜這いをする

丑三つ時の谷戸。
「いくさの前とは、このような気分であったのだろうぞ」

鎌倉時代に心をはせる富五郎であるが、夜這いなど、太古の昔に消えた風習だ。

自分は何をしているのかと思う。

しかし、いとおしい祐子である。カモノタダユキである。運命が自分を導いている。

佐倉家は森の静寂に包まれていた。小さな瓦屋根が付く外玄関の木戸。富五郎は時計を見た。二時半。月夜である。

富五郎は深い息を吐き、
「よし」

と木戸に手をかけた。

するする、と開いた。
「おお」

息を止めてからだを滑り込ませる。後ろ手で木戸を閉め、抜き足、差し足。膝を深く曲げ、内股で歩を進める。玄関は木枠に細いガラスが幾筋もはまった引き扉。引けばがらがらと音がするだろう。富五郎は裏庭へ回った。

腰を落としてさらに内股。手を頭の上で返せば阿波踊りである。

ああ、どうしよう。

縁側から上がって、ふすまを開いて、布団に祐子がいたら・・

ああああ、心臓は破裂寸前、逸物はビンビン、パンツに食い込んで痛い。

ポジションをぐいっと真ん中へ調整し、意を決して裏庭へ踏み込んだ。

まんまるの月が真上に見えた。白い光が縁側を照らしている。

「こんばんわ」

祐子が縁側に座っていた。
「こ、こ、こ、こんばんわ」

あまりにも予想外の景色であった。
「いい月よねぇ。気持ちいい」
「そ、そうだな、いい月」
「とみにいちゃん、おなかでも痛い?」

富五郎は膝を突っ張ったまま、腰を後ろに引いた姿勢である。逸物はショックで中途半端にしぼみ、納まりどころも中途半端である。
「い、いたい? いや、いたくはない」

祐子がふっと笑った。
「何なの、その格好。具合でも悪いのかと思っちゃうじゃない、ね」

祐子はこっちへどうぞと、おしりを少しずらせて富五郎の座る場所を空けた。

月夜に浮かぶ祐子の姿。天女の羽がごとき薄き絹衣。胸元のドレープがちょっとした空気にふわと揺れる。
「座布団出すわね」

祐子が座敷へ上がった。富五郎は息を整え、戻ってきた祐子に言った。
「祐子、何してたの? こんな時間に」

祐子は座布団を置きながら言う。
「何って、のんびりしていただけ。月も綺麗だし」
「丑三つ時にか?」

祐子はぽかっと口を開けたが、すぐにぷっと吹いた。
「丑三つ時? 四谷怪談みたい・・とみにいちゃん、何か変ね、今日は」
「変って、ま、変と言えば変だよな、いきなり訪ねて来て・・ごめん」
「ごめんって?」
「その、夜中だし」
「そうなの? 何か問題でも?」
「い、いや、問題はないかな、勝手知ったる場所だし・・はは」
「そうだよ。ずーっとそうだったじゃん。ちっちゃい時からずっと」

佐倉家は北鎌倉の谷戸に佇む一戸建てである。家屋を囲む板塀はほんのしるし程度、庭は山ノ内の森と境目無くつながる。富五郎は小さな祐子を肩車し自由自在に森を走り回った。

この日、意を決し、抜き足差し足で入り込んだ処も、数百回は行き来した径であるのだ。
「いや、夜中だしさ、寝てるかなと思って」

祐子の返答は意外なものだった。キリとした眼差しが白く光った。
「とみにいちゃん、来るかなと思って・・待っていたの」
「待っていた・・・」

富五郎の膝が折れた。思わず椿の木にしがみついた。細い枝がぐぐとしおれた。前栽は男の体重を支えられない。

富五郎は妙な具合に半回転して背中から土に落ちてしまった。
「あれあれ」

祐子が突っかけを履いて庭に降りた。

祐子は、やっぱりおかしいわよね、どうしたの、と言いながら富五郎の手を取り、お茶でもいれるわ、と座敷へ上がった。

なんという醜態であるか・・

丸めた背中のまま、月の光に誘われるように首だけを上に向けた。

見事な満月である。鎌倉山の木々は闇に深く、葉の先だけを月の白い光がなめている。

座布団を並べた間に湯飲みが置かれた。熱がゆるやかな湯気となって夜のしじまに溶け込んでいる。富五郎は湯飲みを持ち上げ、表面をすすった。

風雅なことだ。

月夜、好きな女と天を見ながら茶をすする。谷戸の風が明け放れた障子の間へ吸い込まれるように渡ってくる。春の朝はまだまだ寒い。祐子は両腕を細い胴体に回し、襟首を締めて風を避けた。

見事な演出ではないか。カモノタダユキにそそのかされ、夜這いなんぞという妙な決意をした富五郎であったが、もともと何をしたかったのかと言えば、浄光明寺の一件を祐子に確かめたかった、それである。

祐子も横に座り、お茶をすすり、そして言った。
「話があるんじゃない?」

富五郎は熱い茶を飲み込んだ。

のどが焼けたが、祐子は茶化さない。じっと見ている。
「そうだな、はなし」

祐子は富五郎の心を見透かしたように言った。
「浄光明寺だよね。私も驚いたから、とりあえず手を合わせたけれど、よく見たら槇の木の根元に、ねえ」
「・・・」
「穴が開いたわよね。人が見えた気がしたわ」
「祐子、見えたのか?」
「穴、あったわよね」
「そうだ。カチーンっていう音がして、ツルハシの先が切り岸から出た」

祐子は湯飲みを縁側に、トンと置いた。
「そうそう、それ。音がしたわよね。ツルハシか。工事で使うやつよね。そうか、見えた、見えた」
「じゃ、じゃあ、こどもも」
「こども? どこのこども?」
「い、いや。それは、先週の月曜日だよ。二十人くらいのこどもが集団でホームにかけあがった事があって・・・駅で踏切からホームに飛び乗るがきんちょがいるだろ」

富五郎の説明を聞き終えず、祐子は言った。
「あの子達、とんでもないわよね。学校で絞られるわ。親御さんも呼ばれるんじゃない。だいたい危ないわよ。つまづいてさ、ケガでもして立てなくなって、その時列車が来たりしたら、どうなるかって、考えないのかしら。でも、それ、お寺と何か関係・・」

今度は富五郎が遮った。
「祐子、見えたのか?」
「見えたかって? 何が」
「こどもだよ、だだだだって、駆け上がった」

祐子は、へんなこと聞くわね、と茶をすすったが、あんなたくさん。驚いたわ、と言った。

おおおおおおおおお

富五郎のこころが喝采をした。

とんでもないレベルで自分と祐子が結ばれている。

深く重く美しく厳かで清らかで、他人が入り込めない永遠の絆。

添い寝どころではない。

富五郎は二人の間に置かれた湯飲みを横へ退け、祐子を座布団ごと引き寄せた。

祐子は「何なの?」と言ったが、富五郎の語るカモノタダユキの話を聞くに及び、動かなくなった。庭を見つめ、夜の空気を吸いこみ、首を反らして月の光を浴びた。

そして言った。
「カモノタダユキに会いに行こう」
「ええっ」
「とみにいちゃん、今度の日曜日休み取ってちょうだい。亥の刻、朝10時。駅の横の切り岸」
「現れるかどうか、約束できる相手じゃないし」
「約束とかじゃない。カモノタダユキはわかるのよ。木の葉をこどもに変えるんでしょ。だったら・・」

池の鯉が水面でぴちゃ、と音を立てた。
「あの鯉は識神かもしれないわ。きっと私たちの話を報告しに行くの」
「祐子、シキガミって、何でそんなことを知っているの?」
「陰陽師は星を見、呪文で生き物をあやつる。平安時代に呪術を操った安倍晴明の力を石に込め、鎌倉時代に八雲へ運んだ。安倍晴明はこの国に現れた陰陽師。宇宙から来たとかも言われている。加茂忠行は安倍晴明の師匠だわ」
「そ、そうなのか」
「佐倉家は八雲神社の氏子なの。祭礼にも参加してる。そのあたりの話は昔から聞かされてる」

祐子は何者か?

自分が来るのを待っていた。それにこの話。

祐子はすべて知っている。鯉はシキガミ?

そこに逸物を押っ立て忍んできた自分である。

穴があったら入りたい。
「日曜までに調べ物をしてみる。それから穴に入っちゃおう」

果たして祐子に穴は見えるのだろうか?

カモノタダユキの声は聞こえるのだろうか?

計ったようにカモノタダユキは現れるのだろうか?

富五郎の不安をよそに祐子の目はらんらんと輝いていた。

明日も仕事でしょう、と富五郎は高校生の祐子に促された。確かにそうである。早朝の掃除までもはや二時間ほどしかない。興奮で寝れそうにもないが、とにかく明日に備えて帰らねばならない。

祐子が玄関まで送ってきた。
「じゃあ、またね」

永年かわらない普段の祐子である。

しかし、いつもとはちがうことが起こった。

祐子は富五郎に近づき、さっと富五郎のほほにキスをしたのである。
「おやすみ」

祐子は裏庭へかけていった。

富五郎はまんじりともできなかった。

眠りたくなかった。眠ればすべて夢に溶けてしまいそうだった。

隣では母親が夢をぶちこわす見事なイビキを吹き上げている。

しかしこのいびきは紛れもない現実だ。祐子のキスは、この音と同じ時間空間に存在したのである。
「おおおおお」

この夜に限り、母親の奏でる下品な音は、それが現実であったことを示す限りなくいとおしい調べに聞こえた。

次号へつづく

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