福富書房

かえる。

第1部 地底人現る ? その4。

小説「鎌倉の怪人」

2012年6月7日|松宮 宏

庭医師

闖入隊との勝負は二勝八敗に戻った

なぜそうなるか、冷静に考えると答えは簡単だった。その場に立ちさえすれば、誰も闖入しないのである。制服には100%の抑止力がある。世は戦国ではない。北鎌倉は善良な市民が暮らす静かな町なのだ。

八割がた闖入を許すということは、八割がた駅員が持ち場を離れてしまう業務サイクルにある。結局、それだけのことである。神通力など、ただの石にあり得るはずがない。
「じゅ、ってなんだよ・・じゅじゅじゅじゅじゅ?」

再びペンキ塗りが定期的に実行され、徒歩通勤できる富五郎が担当を続けた。宿泊当番もいるが、終電から始発の夜間にも駅には業務がいろいろとあるのである。ペンキ塗りまで手が回らない。

理論的に言って、人数を増やせば闖入はなくなる。ところが、これがなかなかむずかしい課題である。駅ごとの勤務人数は労働規定やら組合の要求とかやらがんじがらめ、歴然たるルールの上に勤務人数が決められている。いかなる理由があろうと、他の駅を含めた平均値でなければならない。例外を認めさせるとなれば、下手をすれば霞ヶ関の官僚に書類を作ってもらう大ごとになる。不法闖入対策工事費用なる予算を計上し、絶対入れないような構造物を作ってしまう方が組織の理屈に合う。国鉄の発注する土木工事は公共工事である。地元の土建屋に金がまわり、組合も揉めない。高度成長期のニッポン。四方八方を丸く収まる官民一体護送船団システム。幸せも苦労も、全員で少しずつ分かち合おう!

富五郎はそんなことをちびちびと考えていたが、世の中の仕組みが見えてしまえば、あとはあきらめである。駅員なんて未来永劫同じ仕事。意見は消え感情も消える。

そのとき名前を呼ばれた。

「おい」

改札側を振り向いたが誰もいない。掃除しているのは自分ひとりである。
「こっちだ」

壁に開いた穴。前回より大きい。

富五郎は闖入比率を理論的に分析し、世の中の無情をひとしきり嘆いた後だ。世間とそりの合わない数学者となっている。絶対こんなものは認めないと思いながらも、顔を闇の中へ突き出した。

「ウソ八百はやめてください」
「何がウソじゃ」
「そうでしょう。ホントは穴なんて無い」
「どうだかの。まあ、お前が考えることだ」
「なんです? 私が考える?」
「それより首尾はどうであった。石は効いたか?」
「まやかしじゃないですか、あんな石」
「石もまやかしとはの、ほほほ、おしゃれなことを言やがる。呪が少しはわかったとみえる」
「なにがおしゃれなものですか? じゅ、ってね、石はただの石でしょう。ふつうの石」
「ふつうとな。さては賞味期限を守らなかったとみえる」
「しょうみきげん? 生ものじゃあるまいし」
「呪のチカラは時とともに薄れゆく」
「ははは、時が経てば、とおっしゃいますけど、ははは、それでは言わせていただきますがね、おちゃぶき石ですか、漬け物石みたいな平べったくて重たい石ですね、積みましたよ。もらってからすぐに。門でしょ、悪者が入ろうとするホームの端っこが門ですよ。結界でしょ結界ね。そこに積みました。そうしたら、どうです? うまいことやりますねぇ。踏み台にしてホップ・ステップ・ジャンプ。がきんちょにやられてしまいました。結界は悪を寄せ付けぬ、って、結界ですか? こどもには効かないんですか? カメさんもなんて言ったと思いますか? 駅員の制服にびっくりしてひっくり返った。石なんて知らない。そういうご意見でしたよ。さて、どう出ます?」
「何を言っておるか、富五郎」
「何を言っておるかって、お聞きしたいのはこっちですが・・」

富五郎は言いながらハタと気づいた。
「なぜ私の名前を富五郎と」
「識神が知らせてくれるのじゃ」
「シキガミさん? どなたです」
「識神とは精霊じゃ。おちゃぶき石を飛び跳ねたのは童の精霊」
「いったい何のお話ですか? ほんとうのこどもじゃない、とおっしゃいますか」
「お前には見えたのか?」
「見えたも見えないも、くそがきどもがホップ・ステップ・ジャンプで闖入」

闇の中で声が太く笑った。
「ははははは・・見えたのじゃな。精霊なら呪は効かん。やつらはその元だからの。賞味期限の問題ではなかろう。ま、同輩に尋ねてみよ。童を見たものがおるかどうか」
「・・・」

そんなばかな、と言い返そうとしたが、この人物自体誰なのか、いや、いったい何なのか不明なままである。
「そうですか。わかりました。童の件はのちほど同僚に確かめるといたしまして・・いったい、あなたはどなたでいらっしゃいますか?」
「われか?」
「われ? そうですね、あなたです。差し支えなければ、ま、ご尊名でもお伺いできれば」

「賀茂忠行じゃ」
「カモノタダユキ?」

その名が何を表すのか、富五郎には知識がなかった。

「それで、カモノタダユキさんは、何者ですか? そこで何をしていらっしゃる」
「ま、そうじゃの。庭医師とでも言っておこうか。もくせい、もっこく、かし、かなめ、きんもくせい、ぎんもくせい、さざんか、椿、さつき、ひらど、さるすべり、松、桜、桐、梅、ぼうず」
「ぼうず?」
「葉見ず花見ず彼岸花」
「・・・」
「われは鎌倉山の樹木を守る庭医師である」
「木のお医者さんで」
「浄光明寺の柏槇にの、海鳥の糞と錆び鉄で治癒を試みようと、材料を探しておったところじゃ」

浄光明寺の柏槇・・有名な木である。垂直の切り岸に生える槇で、菩提を表すと信仰の対象になっている木だ。その槇が弱り死にかけている。寺の依頼で大学の先生やら植木職人らが対策を練っているが、なかなかうまくいかないらしい。地元では誰もが知る話である。

カモノタダユキも植木職人のひとりなのか? しかしなぜ暗闇にいる。
「ちょうどそこにの、ほれ、見えておる。お前の後ろに落ちているそれじゃ。そいつをわれに呉れ」
「何です? そこから見えている、ですか?」

富五郎は穴から首を外して振り向いた。穴から背中に声がかぶさる。
「ほれ、八寸ほどの釘が一本落ちておるじゃろうが」

釘? 富五郎は眼を凝らしながら近づいた。たしかにある。錆びて朽ち果てているが、それは犬釘であった。犬釘とは鉄道のレールを枕木に固定する専用の釘で、鉄道の黎明期から現代まで、長きに渡って使われている部品だ。 しかし、なぜそこに一本落ちているのか?
「そいつを呉れ」

富五郎は穴へ頭を戻した。
「だめです」
「だめじゃと? なぜじゃ」
「だめですよ。報告しないといけません。もし外れたのなら大問題です」
「外れてなどおらん。ずっと昔からそこにあるのじゃ。見てみろ。そんな錆びたもの、使わんだろうて」

富五郎は不審ながら首を抜き、犬釘をもう一度見た。たしかに、ここまで錆びた釘はもはや使用することもない。破棄である。というか、古代の墓から掘り出したような代物で、鉄道職員でなければ犬釘だとわからないであろう。

富五郎は穴へ戻った。
「これが要るのですか?」
「それじゃ」
「そうですか・・・これね」
「古い鉄錆は根にいいんじゃよ」
「根?」
「柏槇じゃ。ツボに打ち込む。何なら見に来ればよかろう。槇がぐぐっと持ち上がるのが見えるじゃろうて。巳の刻あたりにやる」
「巳の刻?」
「今と同じ刻じゃ」

富五郎は腕時計を見た。午前十時である。
「浄光明寺に来いと?」

たしかに明日は遅番である。カモノタダユキは心も読むのか。

疲れる話だ。

今日とて、陽もまだ上がりきらぬ午前中である。なのに、まる一日働いたあとの倦怠感がからだ全体を覆っている。
「どうして、わたしが? せっかくの遅番なのに朝からですか? 申し訳ないですが辞退します。毎朝、始発前にペンキを塗ってですよ、ラッシュが終わったら新聞紙の掃除とペンキはがし。塗ってはがしてまた塗って。眠たくて仕方がない。明日は昼まで寝ます」
「眠いなど、しゃらくせえ。だらしのねえことを」
「だらしがない? そんなことはありません。睡眠不足は職務に穴を開けます。社会人としての自覚ですよ・・・そうですか、そうですか、わかりましたよ。どうしてもって言うなら行きますよ。しかし、行く意味あるのですか?」
「富五郎よ」
「今度は何ですか」
「お前のこころは迷うておるの」
「またまた、異な事ををおっしゃいますね。迷うておるかですって? そうですね、そうですとも。迷うておりますとも。崖に開いた穴の人に毎日呼ばれて、聞きたくもない話につきあわされる」
「われが迷いの元凶と申すか?」
「そうですかね」
「じぶんの心と向き合ってみろ。隠すことはない。われには読めておる。色に迷うたのじゃな」
「はぁ?」
「好きなおなごでもできたか?」
「もう・・・」
「おなごなど口先三寸でなんとでもなろう。嫌よ嫌よも好きのうち。すましておっても裾が割れりゃ、あれ?っと一声、まっさかさまじゃ。すがりついてくるわいの。よし、われがひと肌脱いでやろう。戦法を授けて進ぜる。相手は武家か町娘か?」
「祐子はそんな女じゃありません」
「おお、祐子と言うのか。珍しい名じゃの。どんなおなごじゃ」
「どんなおなごって・・」

どこからこういう展開になったのか不明であったが、恋は不思議である。恋の話は聞いてもらいたいのである。しゃべりたい、そんな気分が一瞬で満ちてしまう。恋する心は明治も昭和も、源氏物語のころも変わらない。
「佐倉家の姫ですよ。清純な女子高生」
「姫なのか。齢はいくつじゃ?」
「十七歳です」
「まるで嫁にいく歳ではないか。人を立てて話を持っていってもらえば良かろう」
「そうはいかないんですよ。佐倉家ですよ。うちは母と息子ふたりの貧乏家庭だし」
「身分が違うとな。では、忍べばよい。切り捨て覚悟、と、そんなことを思わずとも良い。われが夜這いを導いてやる。佐倉の家じゃな」
「夜這い! そんなんじゃないです」
「おいおい、声を上げてどうする。そんな堅物だからおなごが寄って来んのじゃ。ま、忍ぶ機会はいずれ作って進ぜる。まずはまかせておけ」
「いいです。放っておいてください」

と言いながら、どんなカタチでもいいからキッカケを掴みたいのが恋である。
「そうですか・・やばいことはだめですよ」
「合点承知。では日野俊基卿の札を授けておこう。鴨居にはさめば御利益を呼ぶ」
「ヒノトシモトってどなたです?」
「おぬし、日野も知らないのか」

カモノタダユキの声が曇ったようであったが、
「まずは明日の巳の刻、浄光明寺。おなごからも誘いが来るであろう」
「はぁ?」

カチーンと、闇が響いた。強烈な音の波であった。
「あ、っちちち」

富五郎は耳鳴りを手で押さて地べたにうずくまった。毎度の事ながら耳が痛い。一分ほど我慢し、立ち上がって壁を見る。穴は消えている。またこれである。

今度は石もないな。そう思っていると、切り岸のすき間から何かが飛びだし、富五郎の足下にぽたりと落ちた。

辛夷の小枝であった。枝の一本に白い札が巻き付いている。

札を開くと葛原ヶ岡神社のみくじである。

葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は後醍醐(ごだいご)天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿を祀る神社で、縁結びの神と言われている。

みくじは大吉である。

実際、祈願に行くかと考えていたところであった。

富五郎は妙に照れ、辛夷の小枝で背中を搔いた。

次号へつづく

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