福富書房

かえる。

第1部 地底人現る ? その12。

小説「鎌倉の怪人」

2012年11月21日|松宮 宏

善応寺ガ谷の柏槇

祐子はカモノタダユキに「八雲神社の清明石を守護する佐倉家」と自己紹介していたし、「神社が私を乗せて飛んだ」とも言っていた。

佐倉佑子は誰なんだ?

俺はまやかしに惚れたのか?

かぐや姫? 鶴の恩返し、狐の嫁入り・・

そんなことを思うと、佑子の顔が鶴に見えないこともない。

富五郎の想像力では、カモノタダユキと奇怪な出来事、祐子を一本の線として考えることは不可能だ。

疑問は疑問のまま放置するしかないが、疑問の上には情熱のため息がかぶさっている。

熱すぎるほど熱くて、そして腑に落ちない、一筋縄ではくくれない宇宙的な感情になっている。

善応寺ガ谷は八雲神社の境内からつながる谷だが、道も無き林だ。生い茂る木々で、動いたという柏槇も、そんな木があることなど地元の者でも騒動で改めて知ったほどだ。

八雲神社の宮司さんに尋ねてみよう、そういうことになった。

祐子が社務所の戸を引いた。
「こんにちは。佐倉祐子です」

奥で「ほいほい」という声がして、白い衣を着た初老の男性が出てきた。

宮司の千石である。手には玉ねぎを握っている。
「おや、祐子ちゃんかの。いらっしゃい」

祐子はぺこりと頭を下げた。
「そしてそこに居るのは、日本国有鉄道の富五郎じゃ。お役目ご苦労さんだの」
「お役目なんてやめてください。普通に働いているだけです」
「普通の勤勉が何よりじゃ」
「そうですかね・・」

祐子が言った。
「宮司さんもお元気で。でも、それ何ですか?」
「おお、これかの」

千石は大きくて立派な玉ねぎをぽんと祐子へ投げた。
「おっと、重いですね」
「なかなか良い玉ねぎであろう。それでの、昼はライスカレーにしようと、決心したところだ」

さて、今から作るかの、と言いながら千石は富五郎に笑みを向けたが、富五郎はただ黙っていた。

千石が言った。
「ま、篤子さん家に貨物が届いたらしくての、ほれ、あの家は京都や九州やら国中に親戚がおるじゃろ。玉ねぎは淡路島が最高なんだそうだが、馬車一台分も届いたらしくての、今朝、カメさんがバケツに山盛り持ってきたんだよ。玉ねぎと来たらカレーと思っての。よかったら食べていきなされ。精進カレーじゃ」
「宮司さんがカレー作るんですか? ご自身で? 意外」
「何が意外なものかの。わたしだってカレーくらい食べるさ。チキンライスだって、ビーフストロガノフだって作れるぞ」

チキンにビーフ? どこが精進料理かと、富五郎は思ってしまったが、祐子は声を上げた。
「えーーっ、すごい!」

千石は祐子の笑顔に引きずられたのか胸を張った。
「よし、では腕に縒りをかけて作るかの。ご期待あれ」

祐子は千石に玉ねぎを返しながら言った。
「千石さん、カレーもいただきたいですけど」
「おうおう、カレーを食べに来たわけではなかろうて。用でもあったか。お母さんのお言付けか?」
「昨日の事をお聞きしたくて来ました」
「昨日とな?」
「木が動いたって」
「おお、その事か」

千石はタマネギを持った手をぶるんと回した。

「善応寺ガ谷の柏槇も神木だったのじゃ。身が震えたぞ」

千石は玄関の間に正座した。祐子と富五郎も上がりに腰を下ろした。
「ほうよ。昨日も今日と同じような、まるで風もない日よりであった。林もざわつかず、小鳥たちがヒヨヒヨ鳴いておったの。その時、一本の木がいきなり揺れた。柏槇じゃ。樹齢は百年いくかどうか、建長寺のような大木ではないが、根元から持ち上がるように傾いて、葉が一斉にざわついての。他の木はまったく動いておらんのだぞ。神がおりたのじゃ。思わずひれ伏して大祓詞(おおはらえのことば)を唱えたわ」

そこまでは噂通りだった。
「怪しげな開発業者がいたとか聞きました」
「そうじゃ。このところちょくちょく入り込んでいたようじゃが、昨日は人数も多くての、しかも見たことのない連中だった。機材を持ち込んで方位を計ったり、地中に管を差し込んでおった。すぐに大谷さんを呼んでの。彼は古都保存協会だし、走ってくればここまで五分じゃ。それに格闘家でもあるしな。ほれ、大谷さんがプロレスラーに勝ったという話を知っておるか? 新宿でけんかになったそうじゃ。おたがい飲んだ上での事と警察沙汰にはならんかったらしいが、相手は力道山とも練習をしておったという玄人じゃったんじゃよ。ところが、大谷さんは正々堂々、首に腕を巻いて路上に投げ飛ばしたらしい。いやはや、そんな人が氏子におってくれるだけでも安心じゃわい」

千石の話が横道に逸れていく。佑子が言った。
「すごいですね? それで柏槇はどうなったんですか?」

富五郎は口を貝のように閉ざしたままだ。

「そうそう、そういう事で大谷さんを呼んだんじゃ。いざとなれば腕力もある。もちろん警察にも連絡を入れたが。大谷さんは男五人でやって来ての、怪しげな連中に『許可はあるのか』とか糾すと、返事をしない。『何とか言わないか』と迫ると、やくざみたいな口を聞く男がひとりいての、『引っ込んでいろ。住民の出る幕じゃない』と大谷さんの胸を突いての。もみ合いになって、殴り合いにもなってしまった。まるでやくざ映画みたいじゃったが、そこへ警官が駆け込んできた。しかし、やくざみたいな男は『県警の本部長にも話は通ってるんじゃ。巡査は引っ込んでいろ』と言っての。警官も『そういうのは署で確かめる』と場を納めようとしたのだが、やくざみたいな男は妙に堂々としておっての、膠着状態になってしまっての。その時じゃ、善応寺ガ谷の空気が、ぐぐっと重とうなったんじゃ。何かが来たんじゃよ。そうしたら柏槇が揺れ始めての、いやはや驚いたのなんの。我々はおもわず『神だ!』と反応したんじゃよ。浄光明寺の一件を聞いておったからの、大谷さんや協会の人、警官達もひざまづいて、手を合わせたらの、連中はそそくさと引き上げたわ。それはそうであろう、神が乗り出したのじゃ、人の力ではどうしようもないじゃろ、しかも」
「見に行っていいですか」

祐子が言葉をはさんだ。
「なに、見たいとな」
「その木を見せてください」

富五郎は感心した。自分にはおしゃべりな駅長の話をやめさせたくともできたためしがない。
「そうか。そうであろう。かまわんぞ。よし、では案内して進ぜようの。すぐ近くじゃ」

善応寺ガ谷の木々は小動物くらいしか通れないほど密集している。足もとを探り、幹と枝のすき間にからだを入れながら進んでいくと、少しだけ広がった場所に出た。春の光が天空から差し込み、風に白く小さな花が揺れている。その真ん中に柏槇はあった。ひもで結界を張られており、白い札が何枚か提げられていた。
「これじゃ」

古い木だ。根が地上で絡み合い、不思議な生命体のように見える。

千石は結界の外に正座をした。一礼し、両手を合わせて口の中でもごもご唱え始めた。

富五郎はじっと見ていたが、祐子が耳元で囁いた。
「調べなきゃ」
「・・・」
「根っこよ。釘でしょ」

そうだ、カモノタダユキだ。富五郎は眼を凝らした。膝を曲げ、首を伸ばし根元に目を這わせていくと、地面との境、落ち葉のすき間に金属らしきものが見え隠れしている。富五郎はゆっくりと結界をまたいだ。落ち葉を払い顔を近づけると、それは果たして犬釘の頭であった。

富五郎は平たい石を見つけ、まわりの土を搔いた。

地中の根が姿を現す。

釘は錆びてはいない。根に打たれたばかりのように見えた。

祐子が上からのぞき込んでいる。富五郎は肩越しに言った。
「犬釘だよ。間違いない。カモノタダユキかどうかはわからないけど」
「こら、何をしておる」

千石が見ている。
「掘っておるのか? 滅多なことをするものでないぞ」

祐子がさっと振り向いた。
「いえ、違うんです。木に呼ばれたような気がしたんです。それで、思わず触ってしまって」

祐子が後ろ手で富五郎の襟を引っ張った。富五郎は石をそっと地面に落とした。
「おお、そうなのか。祐子ちゃんも感じるのか。そうよ、そうよ。その通りじゃ」

千石はまた手を合わせて黙祷し、口に中でもぐもぐ言い始めた。

祐子が富五郎に無言で目配せしてから、千石に話しかけた。
「宮司さま」
「なんじゃ」
「私たち、もう少しここいます。柏槇に向かって、黙祷をしていたい」
「なるほど。では、こっちへくるか。となりに座ればよい」
「いえいえ」

祐子は千石の言葉を押さえた。
「宮司さんはお昼のお支度をどうぞ。淡路島のタマネギカレー。私たちも楽しみですから」
「おお、そうじゃ。そうであった。では、戻らせてもらうかの。あとで寄ってくれの」

千石は物事が決まるとすぐからだが動くようだ。覆い被さる枝葉をくぐり抜けて神社へ帰って行った。いろいろと忙しい人である。
「よし」

千石の姿を見送ると祐子が結界をまたいだ。根をのぞき込み、釘の頭を指で触った。
「ねえ、ここだけ?」
「さあ、どうだろう」

富五郎は張り出した根を一本ずつ見ていった。地中に何かあるかもしれないが、掘らないとわからないであろう。とりあえず見えるのは先ほどの釘だけだ。それも葉に隠れている頭を見つけたのだ。富五郎が鉄道職員で浄光明寺の事を知っていたからこそ、見分けられたものである。

地面に顔を引っ付けるように何周もしたが、先ほどの釘だけである。
「ねえ、とみにいちゃん」

祐子が地面から見上げている。
「開発業者の人たちは何をしてたんだろうか?」
「・・・」
「この木をどうにかしようとしていたわけじゃないわよね」
「そうだろうな。不動産屋の商売は土地だから」
「そうよね。いいこと言うじゃない」
「いいこと・・そうか?」
「まわりを歩いてみようよ。何かしるしがあるかもしれない」

密集した木々をかき分けると、落ち葉が人の靴で踏まれた形跡があった。あちこちで地面がめくれている。祐子が指を指した。
「とみにいちゃん、あれ・・」
「おお」

祐子は水平に伸びた枝の下をくぐり、その場所にかがみ込んだ。
「これは、水道工事に使う管じゃないか?」

直径三センチほどの塩ビ管だ。落ち葉を払いのけると、十センチほどツクシのように地面から突き出している。
「ほら、ここにも」

富五郎も見つけた。そっちは直径二十センチほどもある円筒だ。ベニヤ板の蓋が乗っている。
「開発業者だよね」
「開けてみよう」

蓋をはすぐ外れた。

上から覗いてみた。底は見えないが、漏れ出す冷気がわずかに漏れた。

祐子ものぞき、耳をあてた。
「地の底までつながっていそうだね。そんな感じ」

業者達が目撃されたのは一度だけではない。一触即発気味の状態が続く中での昨日なのだ。実際、善応寺ガ谷の調査はすでに何度も重ねられ地盤も数カ所で掘り返されている。
「この岩山って、住宅になるんだろうか」
「ここはずっとこのままであってほしいわ」
「そうは言っても、どうなんだろうか。日本は土建国家だからな。政治や行政は不動産業界と結託してるよ。住民の味方じゃない」
「とみにいちゃん、どっちの味方なの? 親方日の丸になったら、そんなこと言うの」
「いや、違うって」
「何よ」
「一般論ってやつだよ」
「一般論? 一般論で鎌倉が壊されていってもいいというのね」
「俺は何もそんなことは」

富五郎が言い返すと祐子はむくれる。こういう勝負は富五郎には無理である。

やめた方が良いのだが、祐子の真剣な顔がこれまた限りなくいとおしく、議論はいつも後手に回る。
「千石さんなんか、柏槇に畏れおののいて詞を唱えたのよ。理屈なんか何も言わない。一心不乱に信じてる。大谷さんもやくざに正義の鉄拳を下した。みんな心はひとつ」
「わかっているって。俺だって山ノ内の住民だよ。鎌倉はこころのふるさと」
「そうかしら」
「えーーっ。疑っているわけじゃないよな。そりゃ、あんまりだ」
「もちろん・・・疑っています」
「えええええ」
「違うわよ。わかっております」

祐子のむくれ顔が一転笑顔になった。

富五郎の体温が上がる。

富五郎はこのまま死にたいと思った。
「せっかくだからカレー、呼ばれようよ」
「そ、そうだな、はらぺこだ」

祐子が先に立った。枝の下をくぐろうとしたが、
「蓋をしておかないと・・・今日のところは、見なかった事にしておいた方がいいかも」
「そ、そうか・・じゃあ」

富五郎は数歩戻り、塩ビ管に蓋をして落ち葉をかぶせようとした。

しかしその時、筒のすぐ横でキラリと光るものがあった。

「祐子、ちょっと待って」

犬釘ではなかった。金属の棒のようなものが埋まっていて先が地上に突き出ている。

石でまわりを突きながら土を掘る。引き戸の取っ手らしきものが見えてきた。ちょっと引いてみた。土が硬い。もう少し掘り、指が三本入るくらいの隙間を作った。富五郎はそこへ指を通し、両ひざを深く曲げて後ろへ体重をかけてみた。しかし動かない。それならと富五郎は立ち上がり、取っ手を蹴ってみた。微妙に動く。目標を見定め、「よし」と気合いを入れて踏みつけた。

すると取っ手が土にめり込み、ゴボッと言う音を立てた。

あとは一瞬だった。

蟻地獄のように地面が滑り、富五郎もろとも地中へ飲み込んでしまったのである。
「とみにいちゃん!!」

次号へつづく

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2012年11月13日


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2 コメント

rindy

続きはあるのでしょうか?とても面白いですね!発想が凄いです。
もう本になっているなら買って読みたいです!

2013年1月5日 22:05
松宮 宏

rindyさん。コメントありがとうございます。紙の書籍、または電子書籍を検討中です。
その13の末尾に、第2部のあらすじを載せました。
楽しみにしていただければ幸いです。

2013年1月9日 12:30

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