福富書房

かえる。

自転車に乗って「鎌倉十井」

北鎌倉プロジェクト

2011年11月16日|福富 弘人

井戸にまつわる伝説には不思議な話や怖い話が多い。
「番町皿屋敷」お菊の怪談や、井戸に龍神が棲むという伝説も日本各地に残っています。井戸ではないけど白うさぎを追いかけて穴に落ちたアリスだって、ワンダーランドに繋がる暗い穴から始まるお話です。井戸というのは、こっち側の世界とあっち側の世界を繋ぐ比喩なのです。

自転車に乗って鎌倉の街を散歩しました。路地を曲がり、坂を上り、切り通しを抜け、「鎌倉十井」(かまくらじっせい)と呼ばれる井戸の名所を遍路のように巡り回ったのです。寺の草深い谷戸に隠れるようにしている井戸や、由来の看板を立てられた境内の立派な井戸、細い路地の奥で忘れられたような井戸、姿カタチはいろいろあれど、向こう側の世界を暗示するには、十分な存在感をそれぞれの井戸が持っているのでした。

蓋をされて内部が窺い知れない井戸もありますが、古い時代のものであることは疑いようもなく、その場所に立って一息深い呼吸をすると遠く鎌倉時代へ引き込まれそうな気持ちがするのです。源頼朝の挙兵と平家の滅亡、義経と静御前の悲劇、モンゴル帝国から侵略を受けた元寇の動乱、道元、栄西、親鸞、日蓮、蒼々たる宗教家もかつてこの地を歩き、井戸の水で喉を潤したのでした。

車や人が行き交うアスファルトに覆れた道路の地中には、幾重にも重なった地層があり、そこを流れる地下水脈には、いにしえの武人が龍神のようにひっそりと眠っているのです。「鎌倉十井」は遠い過去への道しるべ、鎌倉散歩のブックマークなのです。

2011年、鎌倉はユネスコ世界遺産の暫定リストに記載されました。今後世界遺産に登録されるかどうか、今はまだ微妙な段階にあります。日本の古い都、奈良・京都はすでに世界遺産に登録され、最近では東北の平泉が浄土世界を表す考古学的遺跡群として登録されています。藤原四代に渡る奥州平泉の栄華は頼朝の派兵によって終焉を迎えます。文治5年(1189年)鎌倉時代の出来事です。以後、室町、桃山、江戸、そして幕末に至るまでの約680年間、武家による支配体制が続きました。鎌倉時代は日本の歴史上大きな転換期であり、その後の政治や社会の基盤が生まれた時代でもあったのです。

大陸から伝わり鎌倉時代に栄えた鎌倉五山と呼ばれる禅の文化は、剣道、弓道、馬術、茶の湯などの芸能に受け継がれ、枯山水や水墨、俳句など優れた芸術を生み出しました。近代に入ると多くの文学者がここに居を構え、文学と歴史の交感が新しい創作を生み出し、日本の近代文学史に重要な足跡を刻んでいます。夏目漱石は円覚寺に参禅し、小説「門」を書きました。川端康成は亡くなる直前まで覚園寺の阿弥陀如来に手を合わせていたといいます。鎌倉を舞台に数々の名作を撮った映画監督の小津安二郎もこの地に眠っています。墓石には「無」の一文字が刻まれています。

宗教学者、鈴木大拙は東京帝大哲学科を卒業した後、円覚寺で釈宗演老師の下に修行、1897年、27歳にして海外に渡り西洋に禅の思想を伝えた人です。帰国後は円覚寺の一隅に居住し、晩年膨大な蔵書を東慶寺に遺しました。その思想と潮流は時空を超え、アメリカのビートニクの詩人やボヘミアンアーティスト、フラワーチルドレンやヒッピーたちのカウンターカルチャーに大きな影響を与えました。作曲家ジョンケージはコロンビア大学で鈴木大拙に東洋思想を学び、「オン・ザ・ロード」を書いたジャックケルアックは詩人ゲイリーシュナイダーをモデルにした「禅ピッピー」(The Dharma Bums/1957年)を出版しました。

板張りの壁際に胡座をかいて座ると、彼はさっそく一服の、熱いお茶をすすめてくれた。「君は『茶の本』を読んだことがあるかい?」と彼が言った。「いや、どんな本だい、そいつは?」
「茶の点て方について過去二千年にわたる知識をふまえて論及した学問的な論文だよ。茶を飲むときの一口目、二口目、そして三口目の効き目を説明したくだりなんかは天馬空を行くと言おうか、まさに脱魂の境地だね。」
「連中は酒も麻薬も使わないで、いい気分になれるわけだ、へえー。」(禅ピッピー)より。

カルフォルニアの空の下で、二人の青年が岡倉天心の「茶の本」について会話しているところを想像すると、なんだかおかしくなります。

先日亡くなったスティーブジョブスも禅の思想に影響を受けていたことが知られています。ジョブスが遺した有名な言葉「Stay Hungry Stay Foolish」はスチュアートブランドが編集した雑誌「ホールアースカタログ」の最終号に記された言葉であり、さらに遡れば仏教の論書「摩訶止観」に行き着くと言われています。その言葉は日本人には馴染みのある「徒然草」に見い出せます。

徒然草・第75段:つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。
世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。
人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし。
惑ひの上に酔へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。
「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。

「徒然草」は吉田兼好が鎌倉時代末期に書いた古典文学です。ジョブスのスピーチに見た禅の影響はこうして再び鎌倉時代に戻ってきました。三方を山に囲まれ、正面を海に向かって開いている鎌倉の地形。この海岸から陸揚げされた材木で鶴岡八幡宮は造営されたと伝わっています。現在の材木座海岸です。北条政子が歩いたであろう若宮大路は、観光客と修学旅行生で今日も賑わっています。

鎌倉を守るように連なる山々は千古斧を入れぬ森ではありません。修行僧にとっての霊山であり、古代から人々が入り、手入れをして自然と共存していたのです。経済成長が続いていた1960年代、鎌倉鶴岡八幡宮背後の「御谷」に宅地開発計画が持ち上がり、樹々が伐採され森が失われるかもしれない危機的な時期がありました。貴重な自然と歴史的環境を守ろうと多くの市民が立ち上がり長年にわたる粘り強い運動の結果、宅地開発は中止され「古都保存法」制定の成果を勝ち取りました。公害が大きな社会問題になりエコロジーという言葉がまだ一般的ではなかったこの時期に、市民自らが地域の自然環境を守る運動があったのです。山々が街を守り、人間が自然を守る。これが日本初のナショナルトラスト運動になりました。そして現在も「台峰」を中心とする環境保護運動に繋がっています。

中世日本史に登場する鎌倉の地は、果たして世界遺産としての価値を認められるでしょうか。今のところ鎌倉市民の反応はクールな素振りです。いまや古都鎌倉も東京と同じ都会なのですね。不思議の国のアリスに登場する白うさぎのように、忙しくて何かを忘れているかのようです。シダに覆われた井戸の深い闇から声が聞こえたような気がしました。「走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。」
海からの風を受け自転車のペダルを踏み込んだ時、ちょっと寂しいような思いがしました。

「鎌倉十井」のうち、「扇の井」はあたりをくまなく探せども発見できず、個人宅内にある模様。
覚園寺境内の「棟立の井」は非公開のため拝見かなわず。崖崩れにより土砂に埋もれているらしい。

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